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怪しい高額商品とブランド品の違い

まずは、怪しい高額商品とブランド品の「価格」と「原価」の関係について考えてみましょう。
ご存知のように、両方とも、「低い原価」の商品を、「高価」に販売していますよね。そこは同じです。

次に、商品の販売方法を考えてみましょう。
怪しい高額商品は、フット・イン・ザ・ドア・テクニック等の詐欺師が使うような販売テクニックを使って、強引に販売していますが、ブランド品は、そういうテクニックを使わず、正統に商売しています。
この販売手法の違いが世間の評価の違いにつながる一因ですが、なぜ両方とも「低い原価の商品」なのに、前者は強引なテクニックを使わざる得ないのか、後者はそういうテクニックを使わなくても売れるのでしょうか。

それは、一言でいうと「人の信用」です。
怪しい高額商品には人の信用はありませんが、ブランド品には信用があります。

「そんなの、当たり前じゃん!」と思われた方へ、お聞きします。
「人の信用」って何ですか。
「信用って、地道に、まっとうに商売してきた証じゃん!」と思った人も多いのではないでしょうか。
しかし、タダみたいな原価の商品を、高額で販売することが、本当に「まっという」な商売なのでしょうか。(客の視点からみれば)まっというな商売というものは、「良品廉価」ではないでしょうか。
※)もっとも、従業員の視点でみれば、話は変わりますし、経済全体としてみたときも、話が変わると思いますが。

では、なぜ「ブランド品」は、「良品廉価」ではない、つまり、お客(多くの人)にとっては、「ボッタクリ」の商売なのにもかかわらず、「人の信用」を勝ち取ることができているのでしょうか。

また、原価率が低いとされている、ブランド品や美容業界などだけではなく、「良品廉価」でブランドを築き上げた企業もあります。しかし、「商品」という観点からみると「良品廉価」でも、実は、会社が大きくなる過程で、かなり強引な営業をしていた、という話を聞いたことがあります。良品廉価なら、自然にクチコミが広がるはずなので、かなり強引な営業をしなくてもいいはずです。「良品廉価」なのに、なぜ、強引な営業をしなければならないのでしょうか。

結果から書くと、「人の信頼」と「商品の品質」の関係って面白いってことです。

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人の信用を獲得するには、人に評価されることが重要

人の信用を獲得するには、どうすればいいのでしょうか。
良品廉価ではなくて、「高品質」がキーなのではと思った人もいるのではないでしょうか。つまり、原価がどうというよりも、とにかく品質さえよければ、人の信用を獲得できるのではという意見ですね。
でも、これだけ、ものが溢れている世の中、みなさんが思う高品質の商品って、本当に高品質なのでしょうか?
結論から書くと、多くの人たちは、マスコミなどによって、高品質だと思いこまされているだけなのですが……いきなり、訳がわからない結論だと思いますので、高品質とは何なのか、一番、身近な「料理」で考えてみましょう。

料理で高品質といえば、とどのつまり「美味しい」ということですよね。
というわけで、これから「料理」を例にして「高品質とは何なのか」、つまり「美味しい料理って何?」を追求していきます。

高品質、つまり美味しい料理っていえば、何を想像しますか。
高級料亭の料理でしょうか?
それとも、値札がない寿司屋の特上大トロでしょうか?
私は、青魚やハンバーガーが大好きなので、値札がない寿司屋のトロよりも、地方の寿司屋の青魚の方が美味しいと思いますし、高級料亭の料理を食べても、やっぱり、ファーストフードだなと思います。私が、このようにいえば、「(私の)味覚が悪い」とか「育ちが悪い」とか思いませんか。

つまり、世の中には、たとえば、値札がついていない寿司屋の高級なトロは100点で90点の美味しさ、安価なハンバーガーは20点の美味しさのように、「美味しさ」には「人類共通」の「点数(絶対値)」があるがごとく思われています。世の中には、点数が高いトロや高級料亭の料理は美味しく、点数が低いハンバーガーなどは美味しくないという「空気」があるので、その逆をいっている私がおかしいように思われるわけですね。
でも、本当に、「高級なトロ90点>安価なハンバーガー20点」のように「美味しさ」に「絶対値」はあるのでしょうか。

結論から書くと、私は、どこから、どう考えてもないと思います。
なぜ、そのようにいえるのか?

味覚の鋭さに個人差がありますし、人によって嗜好が全く違うのに、美味しさに共通認識があることは、そもそも矛盾しているためです。
だから、「美味しさ」には絶対値はないんです。

ちなみに、中には「収穫量が少ないから高価なだけ。品質と味覚は関係がない。」という経済的な観点から考えた人もいると思います。
その通りだと思います。
しかし、もっと、つっこんで考えてください。

だって、収穫量が少ない、たとえば……「幻の魚のドンコの卵巣」があったとして、高価であったとしましょう。でも、私が、ドンコの卵巣よりも、バーガーの方が美味しいといっても、誰も「私の味覚がおかしい」なんて思わないですよね。多くの人が、私の味覚がおかしいなどと思うのは、「キャビア」「トロ」などのように、世の中で高級品だと認知されているものよりも、「青魚」「ハンバーガー」のような世の中で安価な食品だと認知されているものの方が、高品質、美味しいと発言するときだけです。

結局、価格や人の評価は、(ある程度の品質は必要ですが)品質も関係なければ、収穫量なども関係ないのです。人の心理が構築されるまでのプロセスこそが重要なのです。

美食研究家か、マスコミか、誰が言い出したかわかりませんが、とにかく世の中で「高級品は美味しい」と「合意」されているからこそ、たとえ、あなたが、はじめは「普通の味」だと思っても、そのうちに、美味しいと思うようになるのです。
いや、そのように思わないと、村八分にされてしまうのです。
だから、たとえば「幻の高級食材、ドンコの卵巣」なんて食材があって、それよりも、ハンバーガーだとか、青魚の方が美味しいといっても、「味覚がない」「育ちが悪い」などと言われることはないのですね。
だって、まだ、この高級食材には「世の中の合意」ができていませんから。
※)仮に、美食研究家とか、多くの人が、「幻の高級食材、ドンコの卵巣」が美味しいといって、世の中の「合意」ができると、この限りではなくなります。

こういう「人の評価→品質がいいと思いこませる」という心理、商売に利用できますし、実際に利用されていますが……ブランド品の話に戻ります。

人の信頼と商品の価値

ブランド品が、なぜ、賞賛されるのか。
もう、その「答え」が、わかるのではないでしょうか。
というわけで、その理由です。
それは「理由、品質は明らかではなくても」、多くの人から評価されているためです。

ゴッホは、価値がわからなくても、多くの人が価値があると言っているから(その多くの人も価値があると思っているかは定かではありません)、多くの人は価値があると思いこんでいるのです。
東京のセレブ暮らしが素晴らしいと思っているのも、まるで世間の「合意」のごとく、そのように思われているためです。

逆をいって、人々が「価値がある」と「評価」しているものに対して異をとなえれば、ものすごく反発を食らう……下手をすれば、村八分になってしまうのです。それほど、人の評価って強力なんです。人の評価があれば、品質は二の次、もっというなら、強力な人の評価があれば、品質はなくても大丈夫なんです。
ブランド品やゴッホなどの絵画を見てみてください。
世界の名だたる人達、その他大勢の人達が「価値がある」と「評価」しています。だから、その真の品質とは関係なく、品質があると思われているのです。もっというなら、原価なんて、どうでもいいのです。だって、人が評価しているわけですので。

一方、怪しい高額商品を販売している会社は、目先のことしか考えていなくて、売ることしか考えず、人の評価をうまく利用していないので、批判されるというわけですね。だから、タダみたいな原価で売りつけて、あくどいなんて、言われるわけです。「いや、ブランド品も同じ商売でしょ!」って言い訳しても、人の評価がないので、「おまえと一緒にするな!」なんて言われるわけですね。
※)怪しい高額商品でも、人の評価を得ることで、名だたる存在になったものもありますよね。

ほんと、人の心理って面白いですね。

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